コロナ禍での気付き

コロナ後の世界 〜年始にあたり〜

コロナウィルスが世界中に何故パンデミックを引き起こすことになってしまったのかという因を探るより、コロナウィルスが世界に拡がったことそのものを必然だとしてとらえ、その必然性の意味するところを考えることのほうが価値ある事だと思います。

コロナウィルス最大のインパクトは何といっても私たちの日常をデジタルシフトさせたことです。

そして一方でリアルコミュニケーションの機会の減少や一部の就業者の個人収入が不安定になることで社会の鬱がさらに蔓延し米国などのケースは今まで蓄積されていた人間社会の様々な分断・価値観の違い不平不満、エゴを大きく露呈させ民主国家、資本主義社会の地球リーダーであるアメリカの恥部その現実をさらけ出したという事です。

またその中でも最も大切な気づきは命と経済というものが天秤にかけられて対立を生んでいるという事実です。それはイコール軽視されてきた環境問題にも通ずるものです。

コロナウィルスそれは若者たちの間に拡がり症状もなく年長者に忍び寄りの命を奪っていきます。

見方を変えれば先進国に住まう年長者は若者や子供たちの将来の命を犠牲にしながら今という時を謳歌しているそのような人類への警鐘ではないか僕はそのように思います。

経済成長至上主義の資本主義社会がもたらした格差によって生まれた分断。命と経済に対し地球全人類が同時に改めて向き合う機会を与えたということがこのコロナが今、世界に蔓延する意味の必然性ではないでしょうか。

過剰な人口で地球に寄生し、限られた恵みを気にかけることなくむさぼり、水・空気を汚染し海洋をゴミだらけにする。

そのような事態にある自分たち地球人のことが頭ではわかっていても目の前の美味しいモノや事や行為を我慢することはできない。

皮肉にもコロナによってロックダウンされた瞬間にその都市は美しさを取り戻している。

そして一方でそのような中にあっても経済活動を止めることなく、また命を守る暮らし方がデジタルによって進化したそのような体験を私たちは得たわけであります。

そうした技術の進化や暮らし方の創意工夫によって私たちは環境問題を解決し美しい地球を再生し地球上の命を守る方向へ向かう道が今指し示されているのではないか、今という時をそのように考えることができると思います。

進化発展成長が私たちの未来へこれからもたゆまなく続いていく。

そのために我々はそれぞれの持つエゴを知り知恵を持ってコントロールし、世のため社会のために行動するそのような考え方を学ぶ機会を今回のコロナは私たちに与えているそう考えるべきではないかと思います。

2021-01-08 ©Ichiro Haba
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