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イデア30年の軌跡

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1986 創業

代表羽場は1956年兵庫県宝塚市生まれ。高校3年の時ファッションデザイナーに憧れ洋裁専門学校夜間部へ通いはじめました。

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高校卒業後3年間専門学校で学んだ後ファッションビジネスの講師であった米国のLAのマーケティング会社代表とのご縁をいただき21歳にしてその会社に勤めました。専門学校卒業時にはデザイナーではなくファッションビジネスをプロデュースできる企画のスペシャリストを目指そうという思いを持っていました。

その会社で9年間従事させていただいた後30歳で独立、羽場企画事務所を立ち上げました。事務所もお世話になった前会社のLAな感性海に近い大阪南港のマンションの一室からスタートしました。

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1989年 イデア株式会社設立

羽場企画事務所個人創業から2年後の1989年9月12日1000万円の資本金でイデア株式会社を設立。社名はギリシアの哲学者プラトンのイデア思想にちなみ「理想をカタチに」というコンセプトを自分たちのミッションとしてデザインとしての美しさ、人としての美しい生き方を思い描きそのような理想を求めて企画デザイン活動していこうというとイデア株式会社と名付けました。

会社設立時には帝人の繊維専門商社様、トヨタ自動車の用品メーカー様、靴下肌着のアパレル様などから顧問契約をいただき順風満帆なスタートを切らせていただきました。

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時代はバブル全盛、株や土地、金など投資しその値上がりで庶民までもが贅を尽くし贅沢が美徳と思えるほどの放漫な時代グラマラスカルチャーに酔いしれていました。ご多分に漏れずイデアも会社の利益拡大と将来への発展投資の為と大義を掲げながら楽と贅沢を求め株式や土地や先物への投機に走っていました。日本中がうかれデスコブーム、ジュリアナ東京やマハラジャ、ボデコン女性が夜どうし踊り、男がそれを追いかける饗宴の時代でした。

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1990年初頭 バブル期のイデア

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そんなバブルのさなか、視察に訪れたニューヨークでの出会いがきっかけとなり、羽場と木原、そしてニューヨーカーの2人、4名でContingentコンティンジェントと言う会社を現地に立ち上げました。

1990年
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その社名の意味するところは偶発性です。何か新しい事・モノの誕生は偶発的に生まれる。新たな人との出会いや今まで全く関係もないと思われた情報が組み合わさったとき偶発的に起こる創造のエナジー、そのような創造の場をプロデュースする情報商社という事業コンセプトをもってコンンティンジェントは立ち上がりました。小倉屋山本のオーガニックビルもコンティンジェントの仕事の一つです。毎シーズンNYストリートファッションの情報をとりまとめ紡績メーカー、商社さんにレポートを行っていました。

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小倉屋山本のオーガニックビルもコンティンジェントの仕事の一つです。毎シーズンNYストリートファッションの情報をとりまとめ紡績メーカー、商社さんにレポートを行っていました。

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1993年

そうしてバブルは弾け飛んだ1993年にはご多分に漏れずバブルの饗宴に乗ったイデアは債務超過事実上の倒産状態となりました。幸いながら手形を発行していなかったため破産という事態は免れました。この事によって羽場は自らの経営姿勢をそしてイデアの経営理念を見直す機会を持つ事が出来ました。それは京セラ名誉会長・稲盛和夫さんを塾長とする経営塾、盛和塾との出会いでありました。

1993年
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事業は利他なり、事業というものは社長のあなたを利する為のものでは全く以てありません。従業員の物心両面の幸せの実現世のため人の為に利他を実践する事こそ、本来の事業の目的であり意義であり、あなたが努めるべき事であります。

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そのような学びの機会は今こうしてイデアが30年会社を持続して来られた最大の要因であると思います。自分の夢をかけて会社を立ち上げ、初心を忘れてバブルに乗って会社は我が利益を実現する道具という考え方になり染まっていた私にとってその教えは全ての判断基準の根底を覆すものでありました。この時からイデアの第二期創業がスタートしました。現在イデアでは毎朝全員で顧客第一、会社第二、個人第三で仕事をしますと利他の実践を社是とし唱和しています。

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バブルの崩壊、債務超過、その反省から第二期創業が始まりお陰さまで事業は利他なり盛和塾で学ばせていただいた経営理念の構築によってイデアの商品開発コンサルティングの仕事も順調に業績も回復に向かいました。その仕事が順調に回復できた理由は何よりも私自身の失敗からの学びと反省、驕りを無くし謙虚な自分に変われる事ができた事が最大の要因です。

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それ以前のイデアは最低月50万円、そのレベルのコンサルフィーを提供くださるクライアントさんとしか私たちはお付き合いできませんと傲慢不遜な仕事の仕方をしていましたが、私の考え方が変わったお陰で、「お仕事をお手伝いできる、お役に立てれるのであればその料金は極端な話いくらでも結構ですよ」先ずは私たちがクライアント様にお役に立てれるかどうかがお金をいただく以上に重要なテーマなんですという本来仕事に向かう判断基準が大きく変わりました。従業員の皆さんにはサラリーの支給は滞る事なく、銀行借入返済も滞納無く、一方私は1年近くの間無収入、何とかそんな中で苦労を共にしてくれた家族の支えも有り会社の業績を回復し商品開発のクライアント先にも喜んでいただける成果をきちんと上げていけるようになりました。そんな頃にはコアスタッフでの夏の軽井沢旅行も恒例行事となっていました。

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大阪の堺に福助という足袋から始まった老舗のアパレル企業が有ります。そのクライアント様での仕事の一つに、Hanesというメンズカジュアルソックスのプロデューズがあります。そのブランドはスタートから3年後には年間250万足を売るブランドになりました。当初のご相談は福助社はカジュアルソックスのシェアが他の靴下メーカーに較べて大変低い。何とか新しい商品開発でシェアアップを実現したい。そのプログラムの開発を手伝って欲しいという要望を持って来られました。

そこで私たちの提案は到底誰もやらないであろう48色ものカラー無地ソックスの生産を戦略とし、他社の追従から一歩リードすること、そしてもう一つはアメリカンスタンダードなブランドのライセンサーをコーディネートするプログラムでした。

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今ではユニクロなどでも当たり前となったスタンダードアイテムの色無地のカラー展開の繊維製品の草分けとなった開発でした。その製品は新宿丸井本店から販売がスタートしその3年後には最終コンビニエンスストアーにまで販売を伸ばし250万足の販売実績と福助社のシェアーアップの実現に貢献できました。そのブランドは一時ほどのシェアーはなくなったものの今もその企業の資産として残り続けています。

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1998年 製品事業の始まり

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そしてその後1998年イデアは生まれて始めて自社製品を世に出す事になります。そのきっかけは自分たちの商品を持ちたいという漠然とした夢を抱いた事が始まりです。

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クライアントさんの商品企画・デザインそれ一本でずうっとやってきた自分たちにとって自分たちの商品を作るという事は在庫のリスクをともなうし、投資するお金も必要となり、新たなノウハウや人材も必要、人脈も販売ルートもない中で全てが一からの挑戦です。そんな活動を始めたとき、周囲は危険な事に手を出し始めたんじゃないかとほとんどの友人やお得意先の方々を心配をさせていたようです。

デザインを請け負っているだけの方がよほど確実だし楽に生計を立てられる、まわりからはそう見られていたように思います。コンサルタントは評論はうまいけど自ら実行すれば失敗する、デザイナーで商品を作って売れて成功した試しはない、そのように見られていたのだと思います。でも僕の頭の中には失敗や撤退のイメージは全くありませんでした。

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ただ自分たちの商品が世に出て舞台に立つそのようなイメージしか無く寝ても覚めても自分達の商品が欲しい、あの売場にもあそこの売場にも自分たちの商品が飾られ販売されるんだ、そんな夢を見ていました。そんな思いを四六時中抱き続けている中、その一作目の商品のアイデアと出会う機会がやってきました。

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ideacoのデビュー製品は傘の先端を差して傘を収納するアンブレラスタンドCUBEという商品です。実はそのアイデアは常滑の辻江さんという窯元さんからいただいたと言ってもいいモノです。そこでの多々良板で作られたパイプに傘をさして立てておられた光景を目にした時、その形態は狭い日本の玄関をスマートにできるというヒラメキを私に与えてくれました。

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それがCUBEという傘立てを生み出すきっかけでありました。最もコンパクトに狭い玄関スペースに無駄無く使い勝手良く収めれるデザインを考えれば必然として四角いキュービックなカタチとなりました。

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そしてこの製品開発を通じて私たちは2つの大切な人とネットワークを手にする事が出来ました。一つは今でもイデアを支えてくれている生産メーカーの開拓と、そして生産管理をしてくれる台湾人のパートナー、そしてもう一つは全く我々の資源にはなかった販売流通ネットワークです。こんなものは今までになかった、是非販売させてほしいと瞬く間に販売店さんが拡がっていきました。

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その2つの貴重な資源をこの商品の開発によって得る事が出来ました。ありそうでなかったデザインの代名詞となっているideaco製品の始まりです。思念すれば華開くと言いますがまさにその事が現実となった体験でした。

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2005年〜tubelorの誕生と海外進出

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そして2005年製品事業をスタートさせて7年目イデアは初めて世界のニューヨークAccent on designというエキシビションの晴れ舞台に出展しました。そこで出展した製品、傘立てやメディテーションクッションは英国のデザイン誌WALL PAPERやニューヨークタイムズでも紹介されました。

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そしてまた2005年はideacoブランドそのオリジナリティを世界に知らしめるきっかけを作ることとなった新製品開発の機会に恵まれた年でした。

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それはポリ袋をその上から覆いかぶせるようにカバーする事で隠してしまうtubelorと私たちが呼んでいるゴミ箱の新形態です。

その開発のスタートは、お得意先の女性バイヤーさんのスタンダードな良いゴミ箱がなかなか見当たらないのです、とおっしゃる一言を聞きつけたことがそのきっかけでした。何故このバイヤーさんはスタンダードな良いゴミ箱がないとおっしゃられるのか?どのような存在がスタンダードと認識されているのか?スタンダードなゴミ箱とは一体いかなる存在なのか?市場ではどれがスタンダードでどれほどの量が売られているのか、どのようなサイズの製品がマーケットで支持されているのか。

そしてそれらゴミ箱を取り巻く自分の周辺の状況を観察することで今までにはない新しい視点を発見し新たなスタンダードと呼べる存在を生み出すことは出来ないものかと、ひつこく数ヶ月の間、生活観察を続けていました。

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そうした中で高価で素敵なデザインのゴミ箱もホームセンターで売られている安価なゴミ箱と同じようにポリ袋がかぶされ使われている状況を何度となく目にし、しかもそのような状況にあっても特に其のことに対し取りだて不快感も無く暮らしておられる消費者が存在する発見に至りました。

どのような素敵なゴミ箱もポリ袋をかぶせられ使われている、そのお陰でそのゴミ箱の存在するインテリア空間を惨めなものにさせてしまっている、羽場はそう確信しました。

そうしたある日の朝、頭の中に新しいゴミ箱のカタチが絵となって現れ出て来たのです。それは本体となるゴミ箱の外側に新たにカバーを設けてポリ袋をすっぽりおおい隠し口はゴミを投げ入れやすくうす型形状にしそのカバーは本体に浮かしてポリ袋を抑えてとめるカタチです。そして其の姿を早速メモに描きデザインスタッフに図面制作を。単純ですが其の形態は世界で始めてのカタチをしていました。

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それは日本国内で瞬く間に売場にならびはじめ今までのゴミ箱の倍以上する単価の其の製品はゴミ箱売場の坪効率を塗り替えることになります。

其の翌年2006年は国内で年間10万個の販売に迫る成功を収める事になりました。そして2008年には国際的権威を持つドイツのiF DESIGN賞を受賞し、海外での販売も進展していきました。ニューヨークのスタンダードホテル、パリのホテルコスト、香港のマンダリンオリエンタルホテルや米国のコンテナストアー、パリのセントー、中国の百貨店韓国のルーミングやバンコックのインテリアショップなどなど。

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ideacoは、この形態の特徴をtubelorと名付け商標を登録し、四角くて細長いスリム型からフタ付きのタイプまた小さな卓上型までバリエーションを展開、ニトリさんとのコラボ製品の開発に至まで、そのデザインは世界中から支持される存在になりました。

そうしてデビュー以来13年販売総数150万個を突破し、2018年の今も世界中でゴミ箱のスタンダードとして好調に販売されています。